鎮西八郎為朝 八町礫の紀平治との出会い

「さては、この為朝が一言に感服し、和睦をしたものとみえる。世間では奸智術策の巧みな人を虎狼に例えるが、今、このありさまを見ればこの狼の子たちにも義や信と言うものがあるに違いない。争い殺し合いをしてまでのことでは無かったであろう。わかってくれたか。」


と手を伸ばして、うなじをなでてやると、狼の子らは尾を振り、耳を垂れ、従順な様子である。

 

歩き疲れた足を運ぼうとする為朝の前を道案内をするかのように狼の子らは行き、為朝もそれについていく。
十五六町も歩いたころであろう、突然二匹は何かに驚いたのであろう、尻尾を巻いて為朝のところへ走り戻って来たのだった。

 

為朝、不思議に思って見ていると、茂ったススキの茂みの中から、一人の男が現れた。そのいでたちは頭に鹿皮の頭巾、身には頑丈そうな衣、脚には動物の皮で出来た脚絆を付け、長刀を腰に佩いた、身の丈六尺、年の頃は三十路余りであろう。山の猟師なのであろうか、それにしては弓矢を持ってはおらず、かといって山賊でもなさそうだ。そのような猛々しい害意も見受けられぬ。

 

その大男が礼儀正しく為朝に向かいて言う事には

 

「若君は、近頃このあたりで評判になっている八郎様ではありませんか。それがしは、紀平治という猟師でございます。

 

祖父は琉球国の出身ですが、1年漂流して、その舟が筑紫に着いた縁で日本に留まり、肥後の菊池氏に奉公いたしました。その祖父が亡くなって、父は浪人となり、この豊後へ移り住んだのでございますが、世過ぎ見過ぎのために、父も私も猟師の業を身に着けたのでございます。

 

それも、鳥や獣を捕えるのに弓矢剣戟を用いず、礫を持って狙い撃ち、百発百中の手練を持っております。およそ八町の内であれば狙いを定めて、どんなに早く飛ぶ鳥であろうと、どんなに素早く獰猛な獣であろうと撃ち殺さないという事はありません。ですから、人は私のことをあだ名で八町礫の紀平治とよんでござりまする。

 

今でこそ山で暮らしておりますが、いささか青雲の志無きにしも非ず。若君が文武の道に優れ、人を愛する心を持つと聞き、ご尊顔拝謁の機会を賜りたいと思っておりましたところ、思いがけず、このような深い山の中で出会いました。誠に夢のような出来事でございまする。」

 

と言う。

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(原典の脚色現代語訳と小説化は本FBページの所有者 いいしげる