為朝 狼の争いを見て自戒する

為義は屋敷に戻ると、息子である為朝を傍に招き入れて

 

「御身はどうしたことであろう、年長者をも敬わず、しばしば口の災いを招いてしまう。わかっておるのか。年長者を敬うというのは身を立てる事にも通じるというのに、その場の争いにその身を任せて、式成、則員の矢面に立つ羽目になってしまうとは。それは狂人の行いに等しいのだぞ。兵法にも『将驕る時は必ず破る』とある。智或る者は争わず。能或る者は誇らずという。今日の振舞いは忠とも言えず、孝とも言えない。今日から後は慎め。」

と教訓を垂れる。

 

為朝、父為義の教訓を畏れども

「あの入道信西は賢者に似た佞人なのです。その身に一院である鳥羽上皇の寵遇を得て、今上に親しく取り入ろうとしている。賢人らしく世間体を憚る廉恥や節操というものがあれば、新院たる崇徳上皇の傍には寄りがたいものであろうに、そうではなくて、崇徳上皇にも親しく仕え奉らんという演技をしております。真心がないのです。密かに崇徳上皇の様子を窺い、怪しいことがあれば鳥羽上皇に伝えようとする間者に相違ありません。私、為朝はそれを知るがゆえに、今日言を設けて、あやつを挑発し、二度と崇徳院の宮殿に足を運ばせまいと覚悟して、ことに及んだのでございます。」

 

これを聞き、為義は為朝にこのように申し伝えた

信西の君寵が自分に向いているのを笠に着ての言動は、憎むべきものがあるが、良く回る舌は危険この上ない。まずは、明日にも筑紫へ下りて、この禍を避けよ。そういう事だから、音信もしばらく断つのがよかろう。疾く疾く、旅の支度をするがよい。」

 

そういうわけで、為朝はあくる朝、乳母子(めのとご)の須藤九郎重季、ただ一人を召し連れて豊後の国へ旅立ったのである。

 

豊後の国に、その乳母子(めのとご)の須藤九郎重季(すどうくろうしげすえ)とともに、父、為義に所縁のある尾張権守季遠(おわりごんのかみすえとお)の許に落ち着くと、為朝は、経伝や兵書を読み耽り思索を深め、時には弓矢を携えて山に入っては狩りなどをして、心身ともに鍛錬を欠かさぬ日々を送った。

 

三年の月日が経ち、為朝は既に十五歳、才学智勇は既に抜群となっていたのである。

 

そんなある日、為朝は木綿山(ゆうやま)に狩りに行き、山深く分け入って行ったため、道に迷い、行けども行けども元の山道に戻れないということがあった。

 

すると行く手の木の下で、狼の子が二匹いて、鹿の肉を争っている。お互いに噛み合い、お互いの命を危険に曝して、双方ともに半身を血に塗れさせて、勝ちを譲ろうとしない。

 

為朝、暫し佇立し、つくづくと思い知れり。

「今の世の、人の心は、笑みの中、刃を隠し、利を前にして、今までのその人との親しい付き合いを忘れ、官位が自分より高いと言っては妬み、自分の食禄のほうが少ないと言っては争う。父子も仇のように、兄弟も鎬を削るように激しく争う。全く目の前のこの狼たちと同じではないか。この獣の戦いは、世の中はこういったものであるぞ、観念せよ、との啓示であろう。そうに違いない。されば助けるぞ。」

と独り言を言って、

「お前らは勇ましい神であるのに、今、食を争い互いに傷つき弱っているから、この私でも労せずしてお前達二匹を捕えてしまえる。食となる獲物は他から求めることもできようというのに。生きとし生けるもの、ひとたび命を失うては別に求めることはできぬ相談であろう。互いに退くがよい」
と言うなり、
弓の先を狼の体の下にさし入れて、ちょう、ちょう、と跳ね上げた。

 

狼二匹は左右に飛ばされると、再び挑みかかる様子もなく、今は流れ落ちる鮮血を舐め合って、仲睦まじい様子である。それどころか、この狼たちは為朝に近づき、頭を垂れて感謝するがごとく振る舞うのである。

(原典の脚色現代語訳と小説化は本FBページの所有者 いいしげる

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