八町礫の紀平治 為朝を歓待する


為朝、これを聞いて、


「さてはこの狼どもが怖れしは、紀平治がそばに来たと知ってのこと、紀平治の礫の術が尋常のものではないと感じたからであろう」
と心で思って、紀平治に礼儀正しく、道に迷いしこと、狼との出会いのことなどを物語ったところ、

 

紀平治が、大いに感じ入り、


「若君の徳が禽獣にすら通じ感化したのでございましょう。まことに畏れ多い事でございます。
終日道にお迷いと言う事であれば、お腹もすいたことでしょう。わが家はこの山のふもとにございます。粗末な小屋ではありますが、ここより体を休めることができるでしょう。どうぞお立ちより下さい」


と言うものですから、断ることも出来ず、連れ立ってふもとの方へ行くと、二匹の狼もまた後ろについて、門までやって来た。

 

 

紀平治は古ぼけた蔀戸をゆっくりと押し開けて、為朝を中に入れ、妻を呼んで事情を話す。妻もまた夫と同じく、真心から親切で信用が出来るようである。粟飯(あわめし)に鮎の焼き物を添えて為朝に勧める。

 

紀平治


「これは我妻、名前は八代(やつしろ)と申します。お見知り置きを」
と申し上げたので、

 

為朝も


「今日、あなた方とお会いでき、このような歓待を受け、身の幸運を喜んでおる」
と、今日の日の運命的な仕合せを感謝している旨の言葉を伝えたのである。

 

 

一方、紀平治は瓶に入った酒を取り出して為朝をもてなした。
その酒は葡萄酒に似ていたが、味わいが異なっていたので、


「これは何を醸したものであるか」

と聞くと、

 

紀平治が答える事には


「これは山中に稀にあるもので、猴(さる)酒と名付けております。秋の末に猿共が木の実を蓄えようとして、たくさんの木の実を木の洞(うろ)、岩場の窪みなどに貯蔵しているのですが、何か月か経つと発酵して勝手に酒が出来るのです。
山を住みかとする者たちにとっても、それを発見することは多くはありません。それがしも、最近見つけ出して、汲みだし持ち帰ったところなのです」
と言う。

 

爲朝、それを聞き、掌をうち 
「山中に、そのような物があると聞いたことがあるが 都に生まれ育った者ゆえ、見たる事さへなし。道に迷わなければ、このような珍しき馳走に出会う事もなかったであろう」
というと、

 

紀平治も顔じゅうに笑みを溢れさせて、その酒を
「どうぞどうぞ」
と勧めるのであったが
「そうだ、忘れて居った。彼らもさぞかしおなかが空いている事であろう」
と、

門に出て行って、二匹の狼を呼びつつ 切ざみおきたる鹿の股を投げ与えた。

 

妻の八代(やつしろ)はこれを見て びっくりし、恐れおののく様子であったが、紀平治が事の次第を説明したので、だんだんと落ち着きを取り戻し、安心をしたのであった。

 

そうしておいて、再び紀平治は為朝の接待に戻ると、よもやまの世間話やら、兵法のことなどを話しつづけたのだが、爲朝の話す言葉全てが、自分の知らない事ばかりで、為朝の才能が測りがたいほどであったので、すっかい敬服してしまい、とうとう主従の約束をしてしまうのであった。

 

紀平治との討論が興に入り時間のたつのも忘れるほどであったが、そろそろ館に帰らねばならぬ、きっかけをつかんで帰ろうぞと為朝も思い始めていたのだが、為朝の乳母子である須藤九郎重季(しげすえ)も、山からの為朝の帰りが遅いので、心配になり、松明を持ってあちらこちらを探しつつ、ようやく、このころ紀平治の家までやって来たのであった。

 

爲朝は、重季を傍に召し寄せて、紀平治が事、狼の事などを説明したので、重季も夫婦の厚き志を喜び、礼を言う。そうして、主である為朝のお供をして館へ戻って行った次第である。

 

しかし、二匹の狼は、なおもその後についてきて、追い払い、追い返そうとしても、山へ帰ろうとせず。その夜からは爲朝が棲んでいる館の部屋の傍を去る様子もないので、爲朝も同情して、一匹を山雄(やまお)と名づけ又一頭を野風(のかぜ)と呼んで、飼い犬のように扱ったのことである。

(原典の脚色現代語訳と小説化は本FBページの所有者 いいしげる

 

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