珍説弓張月 鎮西八郎 白縫 女兵を操る
阿曽三郎忠国(あそのさぶろう ただくに)は、その日為朝を伴い帰り、厚くもてなし、自身の愛娘、白縫にもかくかくしかじかと、今日の出来事を申し聞かせて、ひたすら為朝の智勇を称賛したという。
しかれども白縫はまだ為朝の人となりを知らないのである。
が、為朝は父の恥をすすいでくれた恩人、父の約束を破るのは義理に反すると思い、
「それでは」
と返事をしたものだから、忠国は大喜びをして、さっそく婚姻の席を設け、酒食杯盤はもとより、食事にも贅を尽くして、為朝と白縫を娶わせたということだ。
その婚姻の宴が果てて後、一人の腰元頭の老女が燭を取りて、新床、つまり白縫の閨(ねや)へ先導するのに連れられ、為朝が、ある部屋の前に来る。
すると老女、
「ここが姫の寝所でございます」
と言う。
為朝、何気なく中へと、障子を引き開けて入れば、忽ち、白と赤の絹を重ね、玉襷(たまだすき)をした腰元二人が、手に桜の枝を持ち、
「やっ」
と声をかけて、為朝を打とうとする。
為朝、腰につけていた扇をとりて、左右を丁丁と打ち落とす。
そのとたん、同じようないでたちの腰元たちおよそ十人くらいであろう、左右より群がり出でて、為朝めがけ、
「三国一の婿君を、いざ、歓迎いたしましょうぞ」
と、一斉にどよめきあげて、それぞれが持っている桜の枝で打ちかかって来る。
しかし、綾取りの糸を操っているかのように、為朝は、打ちかかる桜の花の間を掻い潜り、押し隔て、あるいは扇で悠々打ち払う。為朝が上下左右に振る扇の風で、桜花はひらひらと舞い散り、腰元達の髪を飾る簪(かんざし)は、まるで野の花を巡る胡蝶であるかのようにきらきらと輝く。といった具合で、まことに興がそそられる情景となった次第。
さて、叶わぬまでも撃ちかかろうとする若い腰元たちといつまでも戯れている訳にも行きませぬ。打ちかかる桜の花ときらきら光る簪の胡蝶を軽くあしらいながらも為朝、
「こは狼藉ぞ」
と、一喝。
娘たちは驚き、一斉に片膝ついてうずくまる。
この時、白縫、屏風を押し開き、この世のものとも思われぬほどの艶やかな姿を見せる。
「御曹司様、穏やかならざる歓迎を怪しまないでください。私には幼いころより心に決めていたことがあるのです。天下に類まれなる智勇を持つ真の大丈夫(ますらお)にあらざれば、お側にお仕えしない。そんな覚悟です。深窓に養われ、世間知らずのゆえ、若君の武勇がどの程度のものか分からなかったのです。決して武勇のほどを疑ったという事ではないのですが、このように児戯に等しき策略は、私の過ちでした。けっして他意があってのことではありませぬ。お疑いのないように」
という。
為朝、サッと後ろの白縫を振り返り見て
「(イザナギが黄泉の比良坂に置いて道を塞いだという、千人でようやく動かせるほどの)千曳の岩を転がすものがいたとしても、この為朝を打とうと試みる者が、今の今まで、この世にいるとは思わなかったぞ。まして、おなごの軍配でとは。この為朝も考えが甘かったものと見える」
と大いに笑ったのである。
その苦笑する為朝を、蹲踞していた腰元達が一斉に立ち上がって取り巻き、白縫との閨に押し込むように誘(いざな)い、我らの英雄と佳人は、鴛鴦の契り、偕老の契り浅からず、という仕儀に相至ったのであります。
(原典の現代語訳及び脚色、小説化は、本FBページ主の いい しげる によるもの。原作を読んでいるような雰囲気を壊すことなく現代人にもわかりやすくしたつもりだ。)
(画像は「椿説弓張月」曲亭馬琴作 の挿絵、葛飾北斎作のもの 撮影は いい しげる)