【管理職は何を管理するか】博多駅前陥没、豊洲市場、電通

【管理職は何を管理するか】博多駅前陥没、豊洲市場電通の問題についての戯言を書き直してみた。

権威や職務権限を越える「使命」が自分に課されていることを忘れがちな小役人や大企業病の管理職によくみられる症状がある。

売上、利益率、納期、予算厳守、コスト管理、交渉事で「自分の力」で交渉をコントロールできる「有能さ」を示したい彼らは自分の戦うフィールドのみが世界だと勘違いする。社会や会社から「与えられた使命」があることなど、とうの昔に忘れてしまっている。その「使命」こそが大事で、その「使命」達成のために自分がいる事すら忘れてしまう。自分の戦闘地域だけが最重要で戦略などお構いなしなのだ。そういう意味で彼らは「使命」を全うすることを職務だとは考えておらず、それこそ全く念頭にない。

だから、肝心要の住民の安全や利便が忘れ去られ、企業の理念が社会に貢献することだなどと日業業務で考えないのだ。

自分は戦闘のプロだと考えていて、実際そうなのだが、戦略から見ればただの「馬鹿」である。それでも組織のリーダーを任せる「馬鹿の親分」がいるのだから「馬鹿」は馬鹿であることを、戦闘バカであることを誇りに思っていることだろう。社是や理念、象徴や理想、甘ちょろい概念である「やさしさ」「おもいやり」「人間性」等々。それらこそが官僚や管理職が存在する最大の理由だと気が付くことがない。『大和魂』が欠けているのだ。

だから、「予定外の出費」や「勤務時間」「誰かが決めたこと」は職務権限を越えると思い込んでしまう。管理能力なき組織の証明である。

目先しか見えていないのだ。その先が見えないのだ。公僕である意味や会社が社会的ニーズにこたえて来たその意味が見えていないのだ。
君が代や国旗、社訓の意味が心底から分かっていないのだ。

東京都の豊洲市場で「知る立場にない」から「知らなかった」が許されてきたのは、まったく同じ原因に帰するものだ。


もし「使命」というものが本当に良くわかっているなら、
その問題が何であれ、
自分や部下やあるいは自分のセクションで手に負えなくとも、
「組織で達成すべきだ」
「日本国民全体で解決すべきだ」
と気付く。


気付かないから、誰かをスケープゴートにしようとする。新入社員を自殺に追い遣る。欠陥をないことにして報告書を偽造し、会議で責任者を曖昧にし、部下に責任をかぶせ、他部署の責任や下請けの責任にする。国会なら野党が全て政権与党のせいにする。戦闘のプロが(自分の)戦闘が行われる場で筋を通し、秩序を守ったと誇らしく思っていることだろう。目的に過誤があったのではない、やり方に問題があったのだと思っているならましだろう。

だが、「使命」の目前に目的を置いているから本当の「使命」達成のための目的が見えないだけだ。

歴史マニアで日本が大好きな人間が言いたくないが、江戸時代に侍が役人になって全国に定着した悪しき文化だ。

戦国武士のこころを持った官僚や管理者がいなくなったのではない。お役人になった官僚や管理者が増えたのだ。しかもナルシストの小役人に。

組織を作っているのに組織力ではなく、官僚や管理職個人の能力がシステムとしては働かない組織になっている。隣の組織に神経や血管を通して指令も伝わらなければ、栄養もいかないのだ。脳ですら機能不全だ。

だから肩書が組織の栄養や酸素を阻害してしまっている。人体における血栓だ。
そんな例が多すぎる。

腕や足を切って組織を維持できればよい。企業の場合なら首から上を切っても大丈夫だ。直ぐ生え変わる
しかし、どんな組織でも心臓を止めてしまってはいけない。組織における心臓とは「使命感」や「生き甲斐」「組織の一員であることの魅力」と言ったものだ。

心臓こそ組織のトップである頭脳が管理すべき場所だ。

残念ながら、電通はバカな経営者のために、心臓を踏みつぶしてしまったのかもしれない。それなら再起不能だ。