竹島の編入過程




竹島編入の過程

1.島根県隠岐島民の中井養三郎は、その事業の安定を図るため、1904(明治37)年9月、内務・外務・農商務三大臣に対して「りやんこ島」(注:竹島の洋名「リアンク­ール島」の俗称)の領土編入及び10年間の貸し下げを願い出ました。
2.中井の出願を受けた政府は、島根県の意見を聴取の上、竹島隠岐島庁の所管として差し支えないこと、「竹島」の名称が適当であることを確認しました。これをもって、1­905(明治38)年1月、閣議決定によって同島を「隠岐島司ノ所管」と定めるとともに、「竹島」と命名し、この旨を内務大臣から島根県知事に伝えました。この閣議決定に­より、我が国は竹島を領有する意思を再確認しました。
3.島根県知事は、この閣議決定及び内務大臣の訓令に基づき、1905(明治38)年2月、竹島が「竹島」と命名され隠岐島司の所管となった旨を告示するとともに、隠岐島­庁に対してもこれを伝えました。なお、これらは当時の新聞にも掲載され広く一般に伝えられました。
4.また、島根県知事は、竹島が「島根県所属隠岐島司ノ所管」と定められたことを受け、竹島を官有地台帳に登録するとともに、あしかの捕獲を許可制としました。



In 1904, a resident of the Oki Islands, Yozaburo Nakai, requested the government to incorporate Takeshima as a territory and lease it out for the purpose of sea lion hunting.
In response to this, the government officially named the islands Takeshima, by a Cabinet Decision on January 28, 1905, and designated them as belonging to Japan under the jurisdiction of the Oki Islands Branch, Shimane Prefectural Government.
Based on this Cabinet decision, the Governor of Shimane Prefecture announced the details in the Shimane Prefectural Notice NO.40 on February 22 of the same year.

The islands were entered in the State Land Register in the same year, sea lion hunting was approved in accordance with fisheries supervision rules, the Governor inspected the islands, and in the next year, site surveys by officials from Shimane Prefecture were carried out.

The requirement under international law for acquisition of a territory is effective possession of the land. In addition to the historical title over Takeshima, the aforementioned measures reaffirmed the Japanese title under modern international law.

In accordance with international law, Takeshima clearly belongs to Japan


韓国の外交権がすでに侵害されていたとの主張が韓国にありますが、竹島の日本への編入(1905年2月22日)当時の韓国は歴然とした独立国(大韓帝国)でした。
第2次日韓協約によって、日本が韓国の外交面を担当するようになったのは、1905年11月17日です。
従って、大韓帝国竹島編入に関して不服があればその旨を主張できる立場にあったといえるでしょう。 

実際、韓国の外相だった朴斉純は第二次日英同盟(1905年8月12日調印)に関して両国に抗議をしています。
1905年8月12日の「第二次日英同盟第三条」の条文について、 「大韓帝国」の朴斉純外相が1905年10月にこれを非難し、駐韓イギリス公使と日本公使に抗議しています。
また、1906年2月4月には、蔚珍郡竹邊浦に日本海軍が建設した元燈台用地売買に関して、正式に日本の統監府に抗議して承認させているのですから、 1905年2月の日本の竹島編入についても、韓国は外交権を持ち日本に抗議が可能だったと言えるでしょう。

竹島編入はこの動画で紹介したとおり、いくつもの報道によって広く知らされました。

中井養三郎が竹島でアシカ猟を開始したのは日露戦争よりも前です。竹島編入に中井養三郎が意図的に加担したとの主張があるようですが、事実無根といわざるをえません。

動画中の画像は 日本の竹島領有宣言の過程
地学雑誌の記事は 2012年04月26日の記事一覧 - 詳細表示 - Yahoo!ブログ
を紹介したものです。

また、私の論点は 外務省資料 と 島根県 竹島問題研究所 によるものが殆どです。

韓国人の皆さんはこれを見てください。
한국인의 여러분은 이것을 보아 주십시오.
http://yeoksa.blog.fc2.com/blog-entry-504.html

なお、本動画はコピー可です。朝鮮語、英語、その他の言語に訳せる方は、ご遠慮なく本動画を利用してくださって結構です