がれき処理と原発再稼働

がれきの処理の自治体受け入れが進まない。悲しいことだ。がれきの放射線レベルは全く問題がないと言うのに・・。
ある自治体ではがれきの燃焼実験をやり、残灰の残留放射線を調べると言う。それはそれで、住民説得のために説明材料として必要だろう。やるが良い。


また、電力に余裕が必要と言う説明が解らない人々がいる。彼らは原発の再稼働は不要と主張する。他の電力で充分だと言う。再生可能エネルギーも彼らにかかればたちどころに開発実用化でき、原子力の無いクリーンな日本が出来上がるらしい。それでも彼らに説明する義務はあるだろう。やるが良い。


ただ、彼らが「説明が信用できない」という時、その理由が当該の説明自体にあるのではないことがままあることに留意しておくことが必要だ。その場合、彼らの多くが「原子力」という言葉に困難を感じ、怖れを感じ、人智を超えた邪悪を感じているのだ。

言ってみるならば、カメラが、人の魂を吸いとって写真に映し出すと考えるのと同じ思考回路で、放射線を捕えているのだ。

カメラが可視光線を電子素子に記録するのに必要なように、合理的な放射線の役割を考えることができないのだ。X線やPET診断を思いつく人はまだ良い。
可視光線が普段の生活にあり触れているように、また、物を見るのに無くては困るように、放射線もありふれた物と理解できない人が多いのだ。

自分たちの体が、既に放射性物質で一部が構成されているなどと言われると不安になるのだ。私たち人間を含め、すべての生物の体にカリウムと炭素が必要だ。このカリウムと炭素には、一定の割合で放射性同位元素が含まれていて、私たち人間は数千ベクレルの放射能でできた体で生活をしているのだ。一晩、赤ん坊と母親が添い寝をすれば母親から0.5マイクロシーベルト放射線で赤ん坊は被曝する。これは人類がまだ人類でなかった頃から続いている被曝である。もちろん、赤ん坊もその体の大きさの分だけ放射線を放出しているのだ。もちろん、何も危険はない。

地球上に降り注ぐ太陽の光線は、大気圏を潜り抜けて私たちに届く時には、かなり低いレベルなので人体に影響がなく、むしろ生活に必要なものだが、必要以上に浴びると日焼けをし、火傷になる。緯度の高いところや高山でも同じだ。
放射線も同様だ。普段の生活では意識されていないが、全ての生物の生存に適した量が地球上に降り注いでいるのだ。緯度の高いところや高山、宇宙空間では多量に注いでいる。放射線についても通常の生活圏であれば問題はなく、数千倍、数万倍、数十万倍となれば、その程度に応じて、防ぐ必要があるだけだ。
ちなみに宇宙ステーションで長期間過ごした宇宙飛行士は健康になって帰ってくるとも言われている。

これを間違えてはいけない。
今回の福島で降下した放射性物質が出す放射線は、警戒する必要のないレベルのものであると国連科学委員会(UNSCEAR)が結論を出している。チェルノブイリとは全く比較にならないのだ。原子炉の種類も、爆発の大きさも、火災規模も、破壊されて飛びだした放射性物質の舞い上がった高さも量も、小さく少ないのだ。
私の言うことを信用しろと言っているのではない。
自分で調べてみれば解るから、調べなさいと言っているのだ。
少なくとも、2008年のUNSCEARのレポート以降の研究を調べなさいと言っているのだ。
UNSCEARの報告書を読んでいる現役の放射線医学の研究家、専門家に聞いてみなさいと言っているのだ。
原子炉の専門家に健康被害や農産物の安全性を聞くのは八百屋で魚を求めるようなものだと言っているのだ。

以上・・・・・本日のたわ言です。