危険は常在する。問題は確率と損害の程度というお話

危険は現代人の日常生活に常在するものであり、その確率と損害の程度で影響が異なって来るものだ。


しかし、日常を安全と安心の中でだけ生きている我々の中には、想像上の恐怖そのものが既に危険なのだと捉える人々も多い。


一万年に1回の活断層の活動も、交通事故も、喫煙で肺がんになるのも、メタボになるのも、道で転ぶのも、自分のかって都合で考えている。飛行機事故で死ぬ確率を恐れるくせに暴飲暴食で成人病で死ぬのを恐れない人もいるのはそのせいだ。


だから、恐怖を煽りたい輩は確率や損害の程度の話などしない。


何年何月に世界が終わると宗教勧誘をし、この投資物件は必ずもうかると押し付けようとする。そして今日は「オスプレイが頭上に落ちる現実を見たではないか」と言い張るわけだ。