チャイナは普遍的価値観など持っていない

【チャイナは普遍的価値観など持っていない】

政治が何らかの価値観によって、もしくは何らかの価値観を守るために行われることは確かだろう。「普遍的な価値」の「普遍性」は人類にとっての普遍性でなければ、現実の政治にとって意味がないことも確かだ。

オバマ大統領の広島訪問は「普遍的価値」を再確認しようという試みであり、それは成功した。

基本的人権の尊重や法の支配と言った普遍的価値の中で生活をしている我々に、チャイナの政治や外交は、ある価値観に沿って行われていて、その価値観を守ろうとしているように見えるだろうか。

この記事を書いた西本氏は「主観的」という言葉でチャイナの特異性を述べているが、遠慮しすぎである。

「広島も重視すべきだが、南京も忘れてはならない。被害者は同情に値するが、加害者は永遠に自らが背負う責任から免れることは出来ない」と答えた王毅外相や、チャイナが南シナ海について「古来より中国の領海だった」と主張し続ける姿を見る限り、チャイナは世界に向けて人類共通の「普遍性」の重要性を訴えていく政治・外交よりも、「嘘Deception」に基づく「政治宣伝Propaganda」を重要視しているとしか思えない。

チャイナは人類共通の普遍的な「価値観」など持っていない。

つまり、チャイナと国際社会の違いは「価値観」や「主観」の問題ではなく、人類共通の普遍的な価値観を持っているかいないかの違いである。

「主観」の違いどころではない。徹底的に人間性が欠けていると私は思う。

習近平の意向がすべて 八方ふさがりの中国外交 WEDGE Infinity(ウェッジ)