教条化したリベラリズム

人間は社会的動物ですが、やはり自然の産物です。だから進化の過程で得てきた体の成り立ちや脳の働き方が既にあることを認めなければなりません。


厄介なのは人は神の子である。理性の働きで人間の情動全てがコントロールできる。そのような妄想が人間社会に産まれてきてしまったことです。


社会を維持するためにどう振る舞うかが「宗教」「哲学」「法」「道徳」等であり、それらは社会維持のために必要ですが、それ以上のものが「宗教」「哲学」「法」「道徳」の名で押し付けられる状況が生まれてしまったのです。


最近のトピックスの一つが「ポリティカルコレクトネス」だと思います。「教条化したリベラリズム」です。つまり「理性による情動と自然の支配」です。


そこには人の驕りが過剰に溢れています。


地震や火山や津波や台風という自然の驚異に数千年以上曝されて自然や人を越えるものに対する畏敬を失わない日本人であれば狂人以外は賛同できないような人の驕り、教条化された思想です。