教育勅語と大和心

教育勅語と大和心】

「私は【教育勅語の内容は是】としながら、その精神を活かすために、そこに欧米の一神教を過剰意識し神道から宗教性を過度に排除しようとした国家神道の影をできるだけ落とすことなく扱ってもらいたいと思っている」と以前FBに投稿した。


明治以降の神道というのは、欧米の一神教を過剰意識した体系として再構成され「国家神道」になった節がある。以前のものとは明らかに違っている。
したがって、いわゆる「國體」第一の国家神道によって、本来の「大和心」に欠けている「表象」があちらこちらに見受けられるためである。


簡単に言うと八百万の神々への尊重の念が少し欠けているのが「國體」第一の国家神道だと思っているからだ。


1889年の大日本帝国憲法発布以降に行われた勅令による宗教教育の禁止と共に「宗教ではない」国家神道は宗教を超越し政治・教育と一体化したといわれている。欧米の一神教を過剰意識し神道から宗教性を過度に排除しようとしたのだ。


その後の神社合祀では、43,000社の神社が取り潰されることになる。

狙われたのは、古事記日本書紀に出てこない八百万の神々である。

この神社の統合整理で①敬神思想を弱める、②民の和融を妨げる、③地方を衰微する、④民の慰安を奪い、人情を薄くし、風俗を害する、⑤愛国心を損なう、⑥土地の治安と利益に大害がある、⑦史跡と古伝を滅却する、⑧天然風景と天然記念物を亡滅する(南方熊楠の主張)結果となった。

もう一度南方の言葉を借りれば八百万の神々に対する「神狩り」が行われたのだ。主に出雲系の神々や土着の神々だ。

多数の日本古来の祭礼習俗が失われ、由緒と呼ばれる歴史の糸口も壊滅的打撃を受けた。日本古来の「大和心」や「大和魂」の一部が日本人の記録と記憶から消されたのだ。教育勅語の制定と普及というのはこの時期の話である。


「私は【教育勅語の内容は是】としながら、その精神を活かすために、そこに欧米の一神教を過剰意識し神道から宗教性を過度に排除しようとした国家神道の影をできるだけ落とすことなく扱ってもらいたいと思っている」というのは、この歴史を意識しているからだ。


八百万の神々に対する敬神の姿勢を損なうことなく、漢才や天竺才も洋才も大和心を失わず世に用いるのが大和魂だ。


異なる意見を持つ人々に対する優しさや思いやり無くしてどこに大和魂がある。


欧米の一神教にある匂い(自己肯定のための他者否定)を消さねば、八百万の神々を尊重できないではないか・・・と言い換えれば理解してもらえるだろうか。


教育勅語を教えるのは良いが、たとえ事実であろうと幼児に中韓を非難させたり、英雄崇拝まがいのスローガンを叫ばせてはならない。


それは、大和魂の教育ではない。


まるで、共産国や南鮮の洗脳教育だ。やっていることが同じになってしまっている。


籠池夫妻こそ大和心から学び直すべきだ。