防災と防衛についての戯言ー自虐史観の捉え方

【防災と防衛についての戯言ー自虐史観の捉え方】

日本の主要な火山、阿蘇山や富士山がカルデラ噴火する事態を考えると、それは日本人全滅どころか人類の危機です。つまり、あまりにも大規模な自然災害(噴火)を予想する場合には、備えるか諦めるの二択だと考えてしまいます。

日本人だからこそ、自然災害が人知を超えるという感覚が肌で理解できるので、「諦める」と言う選択も選択肢に入って来る。そのことは我々日本人には驚きではないでしょう。

でも、核戦争に対する備えが必要だと訴えれば、どうでしょうか。
経済対策としても魅力があるし、理不尽な国家的エゴを持つ国の野望をくじけますよと国民に訴えるのです。

自然相手では諦めるという選択をする人間すら、子孫のために賛成する可能性があるのではないでしょうか。

人為、しかも人間の愚かさのために家族を失う、未来の民族、つまり子孫を失うのは、いかにあきらめの良い日本人にも無理だと思います。

それとも、噴火に備えるのは良いことだが、「戦争」に備えるのは悪いことだと、問題をすりかえてしまうのでしょうか。