紀元節 辛酉年春正月 庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮

紀元節
辛酉年春正月 庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮— 『日本書紀』卷第三、神武紀

神武天皇の即位月日とされる1月1日 (旧暦)は、明治に入り新暦に換算され2月11日となり、日本国の建国の日として1873年明治6年)に「紀元節」(祭日)と定められた。紀元節は1948年(昭和23年)に廃止されたが、1967年(昭和42年)に2月11日は「建国記念の日」として国民の祝日となった。

2月11日という日付は、文部省天文局が算出し、暦学者の塚本明毅が審査して決定した。その具体的な計算方法は明らかにされていないが、当時の説明では「干支に相より簡法相立て」としている。
神武天皇の即位年は、『日本書紀』の歴代天皇在位年数を元に逆算すると西暦紀元前660年に相当し、即位月は「春正月」であることから立春の前後であり、即位日の干支は「庚辰」である。そこで西暦紀元前660年の立春に最も近い「庚辰」の日を探すと、西暦では2月11日と特定される。その前後では前年12月13日と同年4月12日も庚辰の日であるが、これらは「春正月」になり得ない。したがって「辛酉年春正月庚辰」は紀元前660年2月11日以外には考えられない。

なお、『日本書紀』は「庚辰」が「朔」、すなわち新月の日であったとも記載しているが、朔は暦法に依存しており「簡法」では計算できないが、当時の月齢を天文知識に基づいて計算すると、この日は天文上の朔に当たる。

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