沖縄は「どんなに遅くとも」1609年には日本。 もちろん、文化的民族的には古代から日本です

#沖縄‬ #拒絶新疆沖縄自治区

沖縄は「どんなに遅くとも」1609年には日本。
もちろん、文化的民族的には古代から日本です。
1609 薩摩、琉球に3,000名余りの兵を派遣し、首里城を落して、
     尚寧王を捕らえる。薩摩藩琉球支配。

1612 『明神宗実録』巻四九七、萬暦四十年(1612)秋七月己亥条
福建巡撫丁継嗣奏、琉球国夷使柏寿・陳華等執本国咨文、言王已帰国、特遣修貢。臣等窃見琉球列在藩属固已有年、但爾来奄奄不振、被係日本、即令縦帰、其不足為国明矣。況在人股掌之上、寧保無陰陽其間。
どうやら、この時点で島津に捕虜された琉球国王尚寧が帰国したものの、すでに薩摩のコントロール下におかれ、自主性を失ってしまったため、明朝から琉球は国として認めてもらえなかった・・・と推測できそうだ。そして、

1617 (八重山日報に発表の石井望氏の発見)
      大陸政権による琉球の日本への服属の公式承認
琉球侵攻 公式に容認 明「皇帝が大赦」 日本に帰属、400年前に同意 - 八重山地方の情報発信 八重山日報公式ホームページ
徳川幕府の使者、明石道友に対し、福建省の海防と外交の担当者だった韓仲雍が、「汝の琉球を併する、及び琉球のひそかに汝に役属するは、また皆、わが天朝の赦前の事なり」(日本の琉球併合と、琉球が日本に服属したことは、3年前の皇太后崩御時に明の皇帝が大赦を行った前の出来事だ)と発言。8年前の琉球侵攻は、皇帝による「大赦」の対象であるとして不問に付し、日本の琉球併合と、琉球が日本に服属したことを公式に容認するにいたる。