FBIとNSA (19)
アメリカのNSAが動き出したのは「料理長」が8月4日に那覇空港に降り立ったことを確認したその日以降である。
つまり、8月4日午後4時52分。那覇空港の監視カメラが「料理長」を捕える。
その3分後にNSAから連絡を受けた在日米軍司令部から全ての在日米軍基地に
「警備体制を1段階強化し、『ブラボー』に引き上げ」
るよう指示を出した。
「料理長」が宮古島に向かうため他の観光客とANA1829便に乗り換えを行っている午後5時35'頃には、沖縄の全ての米軍基地や関連設備がゲートで車両のチェックを厳重に行っていたし、嘉手納基地第2ゲートでは「100%チェック」と看板を掲げ、自動小銃を装備した兵士が、全ての車両を確認しはじめていた。
日本政府にも
「イスラム過激派が米軍関連施設を狙って、攻撃をする可能性があるというテロ情報が入ったので、日本においても『念のため』警戒体制を引き上げる」
との説明がなされた。
それを受けた防衛省では「念のため」全国の自衛隊基地に警戒指示を出したため、那覇の陸上自衛隊第15旅団などでは巡回の回数を増やす等の活動が国民の目に触れるようになった。
そして、同じように警察庁の「念のため」の指示を受け沖縄県警は、在沖米国総領事館などの警備を強化し、国土交通省から連絡を受けた第11管区海上保安本部は直ちに港湾警備等の強化を行った。
しかしながら、日本人の真面目な特性として緊張感は維持しているものの、「テロリストの襲撃」を誰も信じていなかったであろう。それはアメリカ軍の兵士も同じである。
しかし、アジアパシフィック地区のNSAの傘下にある全通信傍受部隊の施設や部屋は緊張感で満たされていたいたことは間違いない。
この通信傍受作戦(最初から作戦が存在したかどうかについてはブライトマン中佐は口を濁した)には、沖縄にいる米軍通信部隊だけでなく、金正男の成田空港での摘発等でも有名になったエシュロンが大活躍することになる。日本の三沢にあるエシュロンはいうまでもなく、南太平洋オーストラリアのエシュロンも動員されていたという。
日本国からこの作戦には、防衛省情報本部の統合情報部と電波部が参加したというが、エシュロンの活用に日本国が加わったかどうかはわからない。
とにもかくにも、日米の通信傍受部隊は協調して、なぞの「料理長」の行動を追い始めたのだ。
追い始めたのは通信傍受の機械を操る人間だけ・・・ではない。
NSAは機器を使った情報収集活動が主力ではあるが、時に情報収集のための物理的行動が必要となる場合のため人的資源も保持している。つまり、諜報部員である。
その諜報部員もCSS(Central Security Service、中央保安部)の協力により、在日米陸軍施設管理本部、第10地域支援群から陸軍情報保安コマンドに属する1名、在日海兵隊、第3海兵遠征軍の情報担当将校の1名。
計2名が17時50分発那覇発の宮古島行きANA1829便に乗りこみ「料理長」の行動を追った。
日本の情報担当者は既に宮古島でタクシーの運転手と旅行業者に化けて待機中である。