空飛ぶ要塞-kaiunmanzokuのざれごと、たわごと、綺麗事

こんな戯れ言で、日米中ロの諜報機関と捜査機関が私を取り囲む??

保釣運動とは何か?

保釣運動

保釣運動(ほちょううんどう)とは、日本固有の領土である尖閣諸島を中国領土であると主張して、中国人社会で行われている「領土返還」運動のことを言う。「保釣」の「釣」とは中国側による尖閣諸島魚釣島の呼び名「釣魚島」から来ている。1997年の香港の本土返還前後から中国共産党の影響下での反日運動という色彩が年々濃くなっている。

アメリカに留学中だった民族主義者とみられる(中共工作員との説もある)台湾人学生が1971年1月から5月にかけてワシントンD.C.台北市などの都市で抗議デモを展開したのが世に知られる最初の機会となった。沖縄返還(1972年5月15日)により、尖閣諸島の施政権が米国から日本に返還されることに対し、尖閣諸島を中国領土であると主張したのが始まりとされる。

同じ年の1971年中国共産党政権が支配する中国大陸でも反日運動が組織されたのに歩調を合わせたように、ニューヨーク在住の留学生が中心となって「保釣運動」を組織する。組織したのは中国国民党を支持する馬英九(現中華民国総統)ら右派学生の「反共愛国連盟」であった。当時は現代版「国共合作」として民族派学生の支持を集めた。

この反日デモをきっかけに、1971年年6月に台湾(中華民国)、12月には中華人民共和国尖閣諸島に対する領有権を主張し始め、中国大陸や台湾、香港だけでなく、海外の中国人社会でも日本から尖閣諸島を「奪還」すべきとする動きが始まった。

1997年の香港本土返還前後からは、中国共産党に迎合する組織が"台湾や香港など『海外華僑』の愛国活動家による抗議活動”を演出したとみられる運動が多く見られるようになった。

2012年7月4日に日本領である尖閣諸島の領海を侵犯した「台湾」船は自国の国旗である青天白日滿地紅旗(せいてんはくじつまんちこうき)ではなく、中華人民共和国の国旗である五星紅旗を掲げており、「中国の企業オーナーから100万元(約1200万円)の寄付をもらった」と明かす等、中国の資金援助を潤沢に受け取っていることが明らかにされた。参考:産経新聞 2012年7月7日(土)7時55分配信



保釣運動そのものが台湾本土統一を含む統一中華圏復活を狙う中国共産党日台分断宣伝工作と言う見方がある。この見方によると取り戻されるのは尖閣諸島だけではなく、琉球諸島そのものが日本ではないとし、沖縄の日本からの独立解放と中華圏への取り込みが目的となっているという。

根拠は台湾や香港からのアメリカ留学生を中心に特定時期(冷戦期−中台外交戦争期)に運動が始まったことがあげられる。当時の中台はお互いの組織内に工作員を入れ激しく中国の正統政権の地位を争っていた事で知られる。そして、その外交戦争の結果、中国の正統政府を任じる中華民国(台湾)との国交国は1969年にピークの68カ国に達していたのである。中華人民共和国として、それらの国々を台湾から引き離す必要があったと言うのである。もちろん、主要ターゲットは歴史的経済的に結び付きの強い日本である。

1971年のデモの後、デモに参加の一部の学生たちは中華人民共和国への訪問団を結成して大陸へ向い、周恩来に接見している。その際、周恩来から保釣運動は第二の五四運動であると評価されている事実がある。


(保釣運動前の沖縄の状況)

1951年に署名された日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)で沖縄は「行政主席」を行政の長とする琉球政府として、アメリカ合衆国の施政権下に置かれた。1950年に始まった朝鮮戦争の進行する中、沖縄県民はアメリカの施政に落胆し本土復帰(日本復帰)を訴え、県民有志は「島ぐるみ闘争」といった抵抗運動を起こし、1960年には沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)を結成した。


(保釣運動前の台湾・中華民国尖閣諸島

また、日本は1952年に蒋介石中国国民党政権との間で、その支配下にある台湾を適用範囲とする日華平和条約(1972年失効)を締結し、その中で日本の領土権の放棄を規定しているが、ここでは「日本国は、1951年9月8日にアメリカ合衆国のサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第二条に基き、台湾及び澎湖諸島並びに新南群島及び西沙群島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄したことが承認される」としていたが、尖閣諸島は台湾に属するとは解釈されておらず、中華民国政府から1971年まで抗議を受けることはなかった。その間の中華民国発行の地図においても尖閣諸島は日本に属すると記してあった。


(保釣運動前の中国・中華人民共和国尖閣諸島

1953年1月8日付けの中国共産党中央委員会の機関紙人民日報は「琉球群島人民による反米闘争」と題する記事で、琉球群島(当時の米軍占領地域)の範囲を記事冒頭で「琉球群島は我国(中国)の台湾東北(北東)と日本の九州島西南の海上に位置する。そこには尖閣諸島先島諸島大東諸島沖縄諸島、トカラ諸島、大隈諸島など7つの島嶼からなっており(後略)」と紹介しており、琉球群島に尖閣諸島が含まれていると紹介している。


(その後の台湾における保釣運動)

台湾「1965年;『世界地図集』国防研究院」の尖閣地図は台湾国防研究院が1965年に発行した地図で日本の領土と認めていた証拠であるが、このような証拠は馬政権に情報統制されていたため、日本のマスコミ『SAPIO』誌、『週刊ポスト』等でスクープされるまで台湾では知られていなかった。これにより台湾の「保釣連盟」が、尖閣領有の主張を取り下げることとなったが、台湾における保釣運動は他の団体によって続けられている。