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空飛ぶ要塞 by kaiunmanzoku

海外で情報戦争に巻き込まれてしまいました。私は無事に帰ってこれるでしょうか? 日米中ロの諜報機関と捜査機関が私を取り囲む??

FBIとNSA (22)

「妻」と「娘」は8月9日の午前8時半に京都市左京区のホテルの前に呼んだ観光個人タクシーに乗りこんだ。運転手のほかに若くハンサムな中国語の通訳が付いている。

この通訳は20世紀初頭から存在する神戸の”元台湾系”貿易商社「中山日華親子商会」、現会社名「中山日中友好商会」の次期社長、つまりは跡取り息子だった。日本人の血が4分の3以上入っているが、国籍は中国籍である。

この好青年は地元の神戸で中華同文学校を卒業した後、15歳で中国本土に留学し、そのまま中国の名門である清華大学を卒業してから、日本に戻り、京都大学へ進学、2年前に京都大学の大学院を卒業している。28歳である。専門は電子工学と電磁気学という。

この外国籍の青年については公安調査庁が既に詳細な情報を把握していた。

公安調査庁は出入国管理局とも密接な交流がある日本の情報組織の一つである。

そして、その情報網は、内閣情報調査室や内閣官房、外務省国際情報統括官組織と共有されているので、これらの組織との折衝も日常業務の一部だ。

逮捕権は持っていない。しかし、法務省傘下の組織として、検察庁から出向した人材を受け入れており、違法行為の探知能力と収集能力は優れている。

また、オウム真理教事件等で明らかになったように、身分を偽っての潜入調査が得意である。

この一般市民からは縁遠いと思われている諜報機関は、警察庁の兄弟組織として、警察庁や警視庁といくつかの出向ポストを共有していて、日常の市民生活に潜んでいる脅威について常に神経をとがらせて監視しているのだ。

一方、警察庁警備局外事情報部外事課と警視庁公安部は、この将来の若き青年実業家の経歴と現状についての情報こそ、公安調査庁から手に入れるまで知らなかったとはいえ、この”元台湾系”貿易会社「中山日華親子商会」の先々代が1970年代の日中国交回復後に自らの出身地を台湾から福建省に変えるとともに、会社名を「中山日中友好商会」と変更して中華人民共和国との取引に乗り出し、大成功を収めてきたということは、独自の調査で既に知っていた。

そして、現在では「中山日中友好商会」が、日本からの機械部品、電子部品の取扱高で中堅どころの商社として、日中両国で一目置かれている存在であることも・・・。

 

日本の捜査当局では、中国や北朝鮮に西側から戦略物質が輸出された疑いがある事件が生じると、その都度、日本から輸出された当該の製品について、そのルートを製造元からいちいち細かく調査していく。

そして、過去から現在まで何一つ問題を起こしていようといまいと捜査対象に手心が加えられることはない。疑いが発生すれば捜査令状が発せられるし、裁判所からの捜査令状の取得が難しい場合には”任意の”捜査を要求することになる。

それほど緻密で断固たる調査が日常業務として行われているのである。日本の安全を脅かす危険は日本国内のあちらこちらに存在しているからある。

その捜査当局の調査過程では、ほぼ網羅的に関連する取引先が調べられることになる。全ての企業が捜査対象となるのだ。多肢に枝分かれしている輸出ルートの中で一度でも出てきた企業名は、現場の担当者にとって全て要チェック対象である。

この調査過程で日本の貿易にかかわる全ての企業体、個人が有名無名を問わず、一度ならず、何度も調べ直されていると考えられるのである。

当然、「中山日華友好商会」の名前は戦略物資の輸出を監視する担当者にはなじみの深いものである。

そういう意味で、この若き将来の「中山日華友好商会」社長が「料理長」の「家族」の京都観光の通訳を務めるという情報は

「ついに来るべきものが来た」

ように、現場の担当者の端々にまで受け止められたのは止むを得ないかもしれない。

 

銀閣寺 - 平安神宮 - 清水寺 - 三十三間堂 と巡って、昼食に至るまで、「妻」と「娘」に変化は見られなかった。

 

昼食中に、通訳がいなくなった。

これが、ちょっとした混乱とある確信を現場にもたらした。

しかし、ハンサムな若者は30分で戻ってきた

 

二条城 - 金閣寺 - 北野天満宮

と巡って、「親子」は元の京都市左京区のホテルに午後4時半ごろに戻ってきた。

 

ホテルの部屋は既にホテルのハウスキーパーに”正式に雇われた”兵庫県警の女性外事係員と他1名によって捜索済みである。

  


ファイル:Kinkakuji 2004-09-21.jpg

FBIとNSA (21)

「料理長」とその家族が別れたのは8月8日の午後4時20分ごろである。

伊丹空港で「妻」と「娘」はタクシーを使い新大阪駅へ、「料理長」は羽田へ向かった。

 

その両方に情報機関関係者が張り付いている。

しかし、今回の追跡役はNSAでもなく、防衛省情報本部でもない。

彼らは本来の通信傍受業務に専念し、人を使った追跡業務は日本国内の諸事情に精通した日本の諜報員が主役となって行われた。

警察庁警備局外事情報部外事課長の指揮下で警視庁公安部、大阪府警、兵庫県警それぞれの警備部外事係が組織的に尾行と監視を行ったのだ。

彼らに「料理長」を派遣した中国の目的は知らされていない。

彼らには、

「アメリカ大使館から中国人民解放軍の大物工作員とみられる人物が観光目的と称して沖縄から来日した」

という情報が渡されているだけである。

他の説明が無くとも、日本の情報当局には、それが、「イタリア海軍空母装備品密輸出未遂事件」の主犯と目される人物であると瞬時にわかる。

アメリカをはじめとする西側大使館と日本の警察庁警備局あるいは警視庁公安部との間ではこのような情報のやり取りは日常的に行われており、共同作業すら稀ではない。

もちろん、日本側から大使館を通して、外国にいる関心ある人物の情報を依頼することすらある。それも外交ルートを通さずに・・・。それほど実務的なやり取りは頻繁である。

つまるところ、それだけ、国際的な犯罪が多くなっているのである。国内における防諜活動もただ国内だけに目を配っていれば足りる時代ではなくなったのだ。企業の多国籍化は産業スパイ活動をも多国籍化させるという訳だ。

ましてや、今回は日米の利害が一致する場合に相当する。全面協力が当然だろう。果実の分け前が重要なのだ。

ただ、今回はその果実が大きい・・・捕まえることができれば・・・だが。つまり、それがいつもと違っていることである。

ということで、証拠はないとはいえ、「イタリア海軍空母装備品密輸出未遂事件」の主犯と目される人物の日本入国は情報当局を緊張させたことは間違いない。

もし、「料理長」がそれを知れば・・・当然知っていたと思われるが・・・「料理長」も緊張を強いられることだろう。罠にはめられてはならないのだ。

情報機関でもあり、世界に勇名をはせるプロの捜査機関である日本の警察当局の監視する前では、どんな些細な違法行為も許されない。

万一、「料理長」が日本の捜査当局の手に落ちれば、西側諸国、米国とNATOはこぞって日本警察に犯罪調査協力を願い出て、他国での中国人民解放軍の諜報活動全般が危機に陥ることだろう。

脚光を浴びることの少ない日本の情報当局が張り切って尾行と監視に向かったのは説明するまでもない。

 

新大阪に向かった「妻」と「子」は新幹線で京都に移動し、一泊した。

京都には豊臣精密工業の本社と研究本部がある。

 

ファイル:GovernmentOfficeComplexNo2.jpg

 

FBIとNSA (20)

日米挙げての大包囲網にも拘らず、8月4日、5日、6日と他の中国人観光客と一緒に行動する「料理長」は宮古島多良間島の観光以外に何も行動を起こさなかったように思えた。

40代半ばの「料理長」には30代の「妻」と10歳ぐらいの「娘」が同行していた。

6日に「家族」は他の観光客と別れ、宿舎を移った。

 

それに対応し、日米の諜報員チームでは一人を除く3人が「家族」が新しく移った長期滞在の観光客が利用すると言うコンドミニアム型ホテルを監視することとなった。

その間日本の情報担当者の一人が「家族」が2泊した部屋を宿泊者として確保し、「痕跡」を探したが、何も発見されなかった。

しかし、ホテルのフロントロビーでは「宮古島石垣島西表島の海岸、特に太平洋に面したの海辺でのイベント」について知りたいと「妻」と「娘」が地元観光案内のチラシを調べる姿が見られたという。

その間「料理長」も「家族」も電話一本かけることはなかった・・・と傍受部隊は報告する。

全ての通信が傍受される中で、4日、5日、6日の3日間の中国語による会話、日本語による会話の分析によって、観光客中にこの3人以外の誰かが潜んでいる可能性も否定された。

 

実は日本の諜報担当者にはこの「料理長」の「家族」の行動により、中国の目的がわかったということだ。

ただし、日本が他の独自情報と併せて把握した「中国の目的」を、この時点で直ちに、アメリカ側に伝えるということはなかったという。

日本側としてはNSAの目的が「『料理長』の目的を知ること」である以上、その手助けを誠実に実行するだけだったということだろう。

したがって、担当者からは『「妻」と「娘」が地元観光案内のチラシを調べ』ていたという事実のみが共同チームに報告されたものの、アメリカ側に「中国の目的」を伝えることはなかったのである。

もちろん、担当者からエシュロンに把握されないように別ルートで防衛省上層部の判断を仰ぐ報告が別途なされたことは言うまでもない。これには宮古島に駐留する航空自衛隊が関与したようである。

とはいえ、『「妻」と「娘」が地元観光案内のチラシを調べ』ていたという事実の報告は、メリーランド州フォート・ジョージ・G・ミード陸軍基地にあるNSAの本部に伝わると、15分で日本側と同じ結論を導き出し、NSAにおける本件の作戦責任者(ブライトマン本人?)は日本の防衛省情報本部の幹部に専用回線で連絡を取り、情報共有と危機管理について協力を依頼したのである。

 

この辺りの詳細は、説明者の国家安全保障局(NSA)ハリー・ブライトマン中佐が、時々さしはさまれるFBI副長官ジェリー・ダールの質問に答えていくなかで、私が勝手に想像した物も含まれているかもしれない。

なにしろ、信じられないことが連続したあと、現実とは思えない状況下でアメリカの捜査当局高官と諜報機関幹部の間でメモもとらず、国際情報戦争の話を聞かされている訳・・・だから多少の事実の齟齬は勘弁願いたい。

 

その後の「料理長」と「家族」の行動を完全に把握することができたのは、エシュロンを始めとする通信傍受網の大包囲作戦が、宮古島コンドミニアム型ホテルからの暗号通信を見事に捉えていたためと考えられるが、この小説の主眼ではないのでそれを割愛する。

 

この小説の舞台は関西とロシアに移ることになる。

 

ファイル:Menwith-hill-radomes.jpg

 

FBIとNSA (19)

アメリカのNSAが動き出したのは「料理長」が8月4日に那覇空港に降り立ったことを確認したその日以降である。

つまり、8月4日午後4時52分。那覇空港の監視カメラが「料理長」を捕える。

その3分後にNSAから連絡を受けた在日米軍司令部から全ての在日米軍基地に

「警備体制を1段階強化し、『ブラボー』に引き上げ」

るよう指示を出した。

「料理長」が宮古島に向かうため他の観光客とANA1829便に乗り換えを行っている午後5時35'頃には、沖縄の全ての米軍基地や関連設備がゲートで車両のチェックを厳重に行っていたし、嘉手納基地第2ゲートでは「100%チェック」と看板を掲げ、自動小銃を装備した兵士が、全ての車両を確認しはじめていた。

 

日本政府にも

「イスラム過激派が米軍関連施設を狙って、攻撃をする可能性があるというテロ情報が入ったので、日本においても『念のため』警戒体制を引き上げる」

との説明がなされた。

それを受けた防衛省では「念のため」全国の自衛隊基地に警戒指示を出したため、那覇の陸上自衛隊第15旅団などでは巡回の回数を増やす等の活動が国民の目に触れるようになった。

そして、同じように警察庁の「念のため」の指示を受け沖縄県警は、在沖米国総領事館などの警備を強化し、国土交通省から連絡を受けた第11管区海上保安本部は直ちに港湾警備等の強化を行った。

しかしながら、日本人の真面目な特性として緊張感は維持しているものの、「テロリストの襲撃」を誰も信じていなかったであろう。それはアメリカ軍の兵士も同じである。

 

しかし、アジアパシフィック地区のNSAの傘下にある全通信傍受部隊の施設や部屋は緊張感で満たされていたいたことは間違いない。

この通信傍受作戦(最初から作戦が存在したかどうかについてはブライトマン中佐は口を濁した)には、沖縄にいる米軍通信部隊だけでなく、金正男の成田空港での摘発等でも有名になったエシュロンが大活躍することになる。日本の三沢にあるエシュロンはいうまでもなく、南太平洋オーストラリアのエシュロンも動員されていたという。

日本国からこの作戦には、防衛省情報本部の統合情報部と電波部が参加したというが、エシュロンの活用に日本国が加わったかどうかはわからない。

 

とにもかくにも、日米の通信傍受部隊は協調して、なぞの「料理長」の行動を追い始めたのだ。

追い始めたのは通信傍受の機械を操る人間だけ・・・ではない。

NSAは機器を使った情報収集活動が主力ではあるが、時に情報収集のための物理的行動が必要となる場合のため人的資源も保持している。つまり、諜報部員である。

その諜報部員もCSS(Central Security Service、中央保安部)の協力により、在日米陸軍施設管理本部、第10地域支援群から陸軍情報保安コマンドに属する1名、在日海兵隊、第3海兵遠征軍の情報担当将校の1名。

計2名が17時50分発那覇発の宮古島行きANA1829便に乗りこみ「料理長」の行動を追った。

日本の情報担当者は既に宮古島でタクシーの運転手と旅行業者に化けて待機中である。

 

ファイル:Miyako Airport Okinawa Japan01s3s4592.jpgファイル:MMY.JPG

 

 

FBIとNSA (18)

「まず一番最初にこの事象に関心を持ったのは中国である」

と日米の情報関係者が知ったのは、8月4日に中国東方航空公司 MU287便で那覇空港に降り立った観光客の一団の中に中国人民解放軍総参謀部第二部第三処所属の通称「料理長」と呼ばれる幹部諜報員が紛れ込んでいたことが知れたからである。

 

「料理長」は8月4日から6日の三日間宮古島の観光を他のツアー客と一緒に楽しみ、他の観光客が7日に大阪に移動した後、さらに1日宮古島に滞在していたことが確認されている。

その後、「料理長」は8月8日大阪伊丹空港に突然現れ、その2時間後に羽田を出ている。

最後に確認したのは8月22日に成田から瀋陽に向けて出国する飛行機に搭乗する姿である。

 

「料理長」とは、2006年のスパイ事件で付いた呼び名であり、日本を含む西側の情報機関の間で 良く知られている事件が発端となった通称である。

 

2006年、イタリアのラ・スペティア海軍工廠で当時建設中だったイタリア海軍の軽空母「カヴェール」の装備品の手配を、フランスの巨大軍需コングロマリットの孫請けで請け負ったのは、ベルギーの小さな機械商社であった。

この小さなベルギーの機械商社の名前は「ポアロ」という。どこかの名探偵の名と同じである。

この小さな商社はフランスの軍需コングロマリットの子会社から受け取った購入仕様書を改竄し、製造元に同じ製品を2重に手配することにした。

製造元には製品を正規装備品とバッファーストックとしての予備品と言う名目を作って、同じ仕様の物を二つ作らせた。

そして、検査時期、船積み時期を2つに分けたのだ。

こうやって、不正に入手した装備品のひとつを中国の国営企業宛てに輸出しようとする、その直前に機械商社ポアロ作成の船積書類の不備が発覚する。

船積書類と言うのは金融機関で審査されるのだが、イタリアの支店で正規装備品の納入時の船積書類審査に立ち会った銀行の担当者が、たまたまその当時、その銀行のブラッセルの支店に出張してきていたのが機械商社ポアロの不運だった。

おまけに、その担当者(イタリア人)はフランスの軍需コングロマリットの傘下企業のイタリア海軍の窓口担当者(フランス人)と仲が良く、どちらも仕事中毒であり、ベルギービールをこよなく愛していた。このフランス人までもがブラッセルの舶用コンプレッサーの企業へ出張して来ていて、同じホテルに宿泊していたのである。

当然、偶然の再会を喜んだ二人は出張先のブラッセルのレストランでビールと食事を共にすることになる。

ビールを飲んで話すうちに、仕事の話になり、軍艦の話、空母の話になる。そして・・・。

同じ装備品の検査が正規装備品出荷時の1回だけで、予備品に検査が必要とされていないことが、このふたりの担当者の疑惑を招いたのだった。

翌日の軍需コングロマリットの傘下企業のイタリア海軍の窓口担当者(フランス人)の本社への問い合わせで、イタリア海軍からの当該装備品の注文はひと組しかないことが分かったという訳だ。

その後、ベルギー警察当局の調べで、この小さな機械商社は事件の3年以上も前に、実質上中国資本に買収されており、事件時の3人の取締役の一人が中国系オランダ人で実質上の最高経営責任者とわかった。

すぐにその3人はベルギー警察当局に逮捕され、輸出されようとしていた空母の装備品も無事に回収され、最後はイタリア海軍に予備品としてメーカーから直接納入されることとなった。

 

それにしてもイタリアの軽空母建造計画に合わせ、少なくとも企業買収の期間を含めると実に5年以上も前から計画されていたことになる中国の諜報機関による工作は、NATO諸国の警戒心を引き締めたことは確かである。

 その事件で、機械商社役員の中国系オランダ人が中国国営企業の調達担当者と会っていたのが、ブラッセル市内の中華料理店であり、そこの「料理長」をしていた中国人がこの工作活動の監視人兼現場責任者らしいとわかる。証拠はない。したがって逮捕状も出ていない。

その男が中国人民解放軍総参謀部第二部第三処所属のヨーロッパ担当責任者と判明したのはもっと先のことだ。

それが「料理長」の通称の由来である。

そうわかったのは、2010年に入ってからなので、「料理長」と呼ばれるようになったのは、もちろん、それ以降ということになる。

 

 

 ファイル:Cavour Napoli.jpg

FBIとNSA (17)

「後藤さん、中身を確かめますか」

キャステラ

「そうさせてもらいましょう」

と私は言い、部屋の入り口近くに立っているキャステラから手荷物を受け取るとパソコンを取りだし、あらためて部屋の奥隅の椅子に座り、それを起動させた。

社内ネットワークへのログイン履歴の有無だけを確かめるのが精いっぱいだが、やらないよりましだろう。

 

1分後、私はもとの席に座りなおした。 

「後藤さんは疑問だらけでしょう。

私たちがこの部屋に来るまでのいきさつを聞いていただく事から始めましょう」

とダールが始めた。

「事は、3か月ほど前にNSAの管轄下で、ある組織が日本領海内の東シナ海の無線を捕えたことから始まります。

ブライトマン中佐、話を引き取ってもらえるかな」

「はい、副長官」

「副長官だって・・・FBIの・・・副長官」

「官職はまだ名乗っていなかったね。長官がフーバービルからいなくなると目立つのでね。副長官の私が後藤さんに会うようにアービング首席補佐官から長官に連絡があったんだ。

そのいきさつは後でこの話の中に出てくる予定だ。

今は、一緒にブライトマン中佐の話を聞こうじゃないか。

私も詳細に興味があるのでね。楽しみにしていたんだ」

 

ブライトマンの説明は後藤にとっては驚くべきものだった。

 

2ヶ月半ほど前

81日水曜日 午前9時ごろから10時ごろにかけて、日本の海上自衛隊5航空群所属のP-3C、および第6護衛隊所属の護衛艦2隻が沖縄県宮古島の北西約100キロの海域を東シナ海から太平洋に向けて南東進する中国海軍のフリゲート艦2隻、情報収集艦1隻を確認した。

既に情報を独自に得ていたアメリカの国家安全保障局(NSA)は、日本と台湾近海における中国海軍の動向把握のため、いつものルーチンに則り、通信傍受をCSS(国家中央保安部)とともに行っていた。

中国海軍同士の通信内容はもちろん日米の通信も一緒に傍受されることになる。

 

午前10時15分ごろ中国艦隊の先頭艦であるジャンカイII級フリゲート艦は無人飛行機を甲板上から飛び立たせた。

この種の飛行訓練は過去にも行われていたが、予定される訓練海域についてから行うのが通常だったため、予想外にも日本と台湾の間の宮古島付近で行おうとしたことに、中国海軍の意図を測りかねた日米は緊張した。

 

午前10時30分ごろ日本の宮古島方面から無線電波領域を用いた微弱な電波が発せられたのをNSAが感知。

同40分ごろ「中国製無人飛行機が急上昇し制御不能」との海上自衛隊の無線を傍受。

同43分「海上に落下」と報告の中国海軍と海上自衛隊双方の無線を傍受した。

 

中国海軍は情報収集艦が最後方にいて当該無人飛行機の入水位置に近かったため、回収を情報収集艦に依頼。

当初、情報収集艦は停止に時間がかかったものの、比較的容易に墜落位置を目視で確認できたため舷側よりボートを出して、飛行機の回収にあたった。

午後2時30分ごろ情報収集艦の派遣したボートの指揮官より

「回収は成功した」

との連絡が入ったのを確認した。

 

この騒ぎで、中国海軍はフリゲート艦2隻と情報艦1隻の航行間隔が相当開いてしまった。それは当然予想できたのだが、おかしなことに、その飛行機の異常作動直前から中国海軍の中でお互いの位置関係がうまく把握できなかった節があるのだ。

 

無人飛行機の異常上昇飛行が始まって、1分後に

「レーダーに異常」

それから

「島影及び味方艦の位置把握できず」

敵情報収集飛行機影7か所」等々の意味不明、不可思議な通信が傍受された。

それが2時頃まで続いたのだ。

 

また、日本のP-3Cと護衛艦についは10時40分から11時30分、午後12時30分から2時1分まで電子機器によるお互いの位置情報が把握できなくなる状態が発生した。

 

日本国海上自衛隊は当時目視情報で充分艦隊行動を把握できる環境にあり、P-3Cについても中国艦隊を目視しており飛行には問題は生じなかった。

ただ、中国側の無人飛行機について、

「レーダー機影を確認した。ステレス性能は認められず」

と報告した数分後に

「機影が断続的に複数個現れては消える」

現象を報告している。

 

また、同じ日、日本海経由で東シナ海を通過しようとしていたロシアの偵察機TU-95型2機が、緊急発進した自衛隊機F-15の2機とあわや空中衝突というニアミスを起こしたのだ。

 

 

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