FBIとNSA (18)

「まず一番最初にこの事象に関心を持ったのは中国である」

と日米の情報関係者が知ったのは、8月4日に中国東方航空公司 MU287便で那覇空港に降り立った観光客の一団の中に中国人民解放軍総参謀部第二部第三処所属の通称「料理長」と呼ばれる幹部諜報員が紛れ込んでいたことが知れたからである。

 

「料理長」は8月4日から6日の三日間宮古島の観光を他のツアー客と一緒に楽しみ、他の観光客が7日に大阪に移動した後、さらに1日宮古島に滞在していたことが確認されている。

その後、「料理長」は8月8日大阪伊丹空港に突然現れ、その2時間後に羽田を出ている。

最後に確認したのは8月22日に成田から瀋陽に向けて出国する飛行機に搭乗する姿である。

 

「料理長」とは、2006年のスパイ事件で付いた呼び名であり、日本を含む西側の情報機関の間で 良く知られている事件が発端となった通称である。

 

2006年、イタリアのラ・スペティア海軍工廠で当時建設中だったイタリア海軍の軽空母「カヴェール」の装備品の手配を、フランスの巨大軍需コングロマリットの孫請けで請け負ったのは、ベルギーの小さな機械商社であった。

この小さなベルギーの機械商社の名前は「ポアロ」という。どこかの名探偵の名と同じである。

この小さな商社はフランスの軍需コングロマリットの子会社から受け取った購入仕様書を改竄し、製造元に同じ製品を2重に手配することにした。

製造元には製品を正規装備品とバッファーストックとしての予備品と言う名目を作って、同じ仕様の物を二つ作らせた。

そして、検査時期、船積み時期を2つに分けたのだ。

こうやって、不正に入手した装備品のひとつを中国の国営企業宛てに輸出しようとする、その直前に機械商社ポアロ作成の船積書類の不備が発覚する。

船積書類と言うのは金融機関で審査されるのだが、イタリアの支店で正規装備品の納入時の船積書類審査に立ち会った銀行の担当者が、たまたまその当時、その銀行のブラッセルの支店に出張してきていたのが機械商社ポアロの不運だった。

おまけに、その担当者(イタリア人)はフランスの軍需コングロマリットの傘下企業のイタリア海軍の窓口担当者(フランス人)と仲が良く、どちらも仕事中毒であり、ベルギービールをこよなく愛していた。このフランス人までもがブラッセルの舶用コンプレッサーの企業へ出張して来ていて、同じホテルに宿泊していたのである。

当然、偶然の再会を喜んだ二人は出張先のブラッセルのレストランでビールと食事を共にすることになる。

ビールを飲んで話すうちに、仕事の話になり、軍艦の話、空母の話になる。そして・・・。

同じ装備品の検査が正規装備品出荷時の1回だけで、予備品に検査が必要とされていないことが、このふたりの担当者の疑惑を招いたのだった。

翌日の軍需コングロマリットの傘下企業のイタリア海軍の窓口担当者(フランス人)の本社への問い合わせで、イタリア海軍からの当該装備品の注文はひと組しかないことが分かったという訳だ。

その後、ベルギー警察当局の調べで、この小さな機械商社は事件の3年以上も前に、実質上中国資本に買収されており、事件時の3人の取締役の一人が中国系オランダ人で実質上の最高経営責任者とわかった。

すぐにその3人はベルギー警察当局に逮捕され、輸出されようとしていた空母の装備品も無事に回収され、最後はイタリア海軍に予備品としてメーカーから直接納入されることとなった。

 

それにしてもイタリアの軽空母建造計画に合わせ、少なくとも企業買収の期間を含めると実に5年以上も前から計画されていたことになる中国の諜報機関による工作は、NATO諸国の警戒心を引き締めたことは確かである。

 その事件で、機械商社役員の中国系オランダ人が中国国営企業の調達担当者と会っていたのが、ブラッセル市内の中華料理店であり、そこの「料理長」をしていた中国人がこの工作活動の監視人兼現場責任者らしいとわかる。証拠はない。したがって逮捕状も出ていない。

その男が中国人民解放軍総参謀部第二部第三処所属のヨーロッパ担当責任者と判明したのはもっと先のことだ。

それが「料理長」の通称の由来である。

そうわかったのは、2010年に入ってからなので、「料理長」と呼ばれるようになったのは、もちろん、それ以降ということになる。

 

 

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